バヌアツへ行くと決めたら!
早速準備に取り掛かろう!

歴史

① バヌアツってどんなとこ?


ニューカレドニアから飛行機で約1時間、バヌアツは南太平洋に浮かぶ83の島からなる独立国です。他の太平洋のリゾート地と比べて日本での知名度はまだまだ低いですがビーチリゾートとしても想像以上にレベルの高いリゾートです。この国を訪れる人はオーストラリアからの観光客が殆ど。

手付かずの楽園、珊瑚礁、熱帯雨林におおわれた島々など様々な景観が楽しめます。いま尚火山活動を続けるタンナ島では、火口に近付ける活火山”ヤスール火山”の噴火を見ることができます。また1942年に豪華客船“プレジデント・クーリッジ”が沈没したダイバー憧れのエスピリトゥ・サント島など見所も豊富に揃っています。バンジージャンプ発祥の地でもあるペンテコスト島では、毎年4、5、6月にランドダイビングの儀式を見学するツアーなどもあります。

② バヌアツ最大の魅力


透き通る海、真っ白な砂浜、青く澄んだ空、焼き付く太陽…バヌアツでは当たり前の様に見る事が出来る風景です。ワイルドな自然を体験できるソフトアドベンチャーもバヌアツ旅行の魅力。活火山から噴出される噴火を体験したり、コウモリの暮らす洞窟を探検したり、沈没船の内部へダイビングで探索にいけたりするのです。

しかしバヌアツの本当の魅力はこれら自然と共に暮らしてきた人々ではないでしょうか。バヌアツの人々のあまりの純粋さとくったくのない笑顔にきっと貴方の顔も微笑むに違いありません。ポートビラを少し離れるとそこはもうすっかり村社会。村長の下、村の習慣を大切にしながら自給自足の生活を送る人々との触れ合いも体験してみて下さい。

③ 国旗の意味や由来など


緑色は緑豊かな国土を、赤色は独立闘争で流された血の犠牲を忘れずに国民が一致団結しようという決意を、黒色は土地の肥沃さとメラネシア人を、黄は平和とキリスト教信仰をそれぞれ象徴しています。国章はバヌアツの聖なるシンボルで、野豚の牙と聖なる葉を表わしています。

④ バヌアツの歴史


バヌアツには数万年以上前や数千年前に人類が渡ってき来たと色々な説があり、現在見付かっている遺跡で最も古いものは、約4000年前のものですが、約5000年前の縄文土器が出土されたという信じられないニュースは記憶に新しいところです。

11世紀から15世紀にかけては東からポリネシア人の大移動があり、異なった生活習慣や技術がもたらされたと同時に部族間の争いが頻繁に起こり、首狩りの習慣が19世紀頃まで残っていたと言われています。西洋人が最初にバヌアツを発見したのは1605年のポルトガル人航海家のペドロ・フェルナンデス・デ・キロスです。

18世紀のなると、フランス人探検家ブーゲンビルやイギリス人探検家キャプテン・ジェームス・クックが訪れ、1825年に白檀が発見されてからはイギリスやフランスを中心とした商人やキリスト教宣教師達も次々に訪れました。第二次世界大戦勃発後、アメリカは、日本軍の侵略を阻止する目的で、エスピリトゥ・サント島とエファテ島を基地とした為、アメリカからの影響を受けました。第二次世界大戦後はまだイギリス・フランスの共同統治下に置かれていましたが、1980年07月30日に独立しました。

⑤ 簡易年表


1606年 04月27日、ポルトガル人のペドロ・フェルナンデス・デ・キロスが現在のサント島(Espiritu Santo)に上陸し、聖なる大陸と勘違いしてTierra Australia delEspiritu Santoと名付ける。

1768年 フランス人のブーガンビルが北東の島に上陸し、マエヲ島とペンテコスト島を発見する。

1774年 キャプテン・クックが滞在して、バヌアツの前の名前、ニュー・ヘブリデスと名付けた。その後南方のタンナ島で白壇が採れることが知られ、これを求めて白人の侵入が始まる。

1887年 イギリスとフランスの両国により、連合海軍委員会を設立した。

1906年 イギリスとフランスの両国による共同統治国となる。

1942年 アメリカ軍が上陸して、サント島に軍事基地を造った。

1975年 英仏間の争いがだんだん大きくなってきて独立の気運が高まり、初めて総選挙が行われた。

1979年 ウオルター・リニが初代首相となった。

1980年 ジョージ・カルコアが初代共和国大統領に選ばれて、7月30日にバヌアツ共和国が誕生した。

1981年 国連に155番目の独立国として認められた。